やり遂げる恐怖その2
目指していたものを諦めるのは辛いことです。
当時の私も体を壊した経験があるのにも関わらず、その企業に就職しようとしばらくは思っていました。
先方からの評価は上々で、舞い上がっていたせいもあります。
周りの人々も応援してくれました。
しかし、私の大切な人だけが強く止めました。
「体を壊してまで働くのは絶対間違っている。その企業はやめたほうがいい」と。
そう言われた時はとても悲しくなりました。なぜ、私のやる気を理解してくれないのか。少し無理をしてでも夢を追いかけることの何がいけないのか。やりたいことをとめるなんてひどい、と。
でもやっぱり、よくよく考えると彼のいうことは正しかったのです。
私がその企業に行きたい理由なんてただキャリアウーマンになりたいから。いつまでもキラキラしていたい、みんなに尊敬されたい、バカにしていた人を見返したいとかそういう薄っぺらい理由です。
周りの人がどんどん立派な大人になっていくなかで、私も早く立派になり、追いつき追い越したいという焦りがありました。
だから、キャリアウーマンになりたい、といった漠然として中身のない夢を無理やり作って追いかけていたのだと思います。
私はこういう自分の浅はかさを見透かされるのが嫌でずっと気を張り詰めて来ました。
でも、彼の一言で目が覚めたのです。
見栄で自分を殺すことはない、と。
自分の持ち味や経験を生かせる職場なんて他にいろいろあるはず。
きっともっといい働き方が見つかるはず。
インターン中は接待でたくさん美味しいものを頂きましたが、どれも味がしませんでした。すがすがしい初夏の風も街路樹の緑も私にとっては何の意味もありませんでした。
日々のストレスと戦うのに精一杯で心のゆとりがなかったのです。
朝から晩までパソコン、社交辞令、作り笑い、アルコール…私はそういうのには耐えられないタイプの人間でした。
長い時間をかけてそれに気がつき、頂いていた内々定を辞退しました。
私の現在の夢。
ご飯の味に喜び、四季の移ろいを楽しむ余裕がある生活をすること。
そのためにどう働くべきかを、考えているところです。
きっと見つかると信じています。
やり遂げる恐怖
少し前までの私は、バリバリのキャリアウーマンを目指していました。
働いて、子供も育てて、キャリアも家庭も大事にするパワフルな女性に憧れていました。
しかし、今は目指していません。
転機は第一志望の企業のインターンです。
そのインターンはなかなかハードで、毎日毎日課題に追われ、アフターは接待飲み会、帰りは満員電車、睡眠時間は5時間以下といった生活を数週間続けました。
おそらく、サラリーマンの方々にとってこんな生活は普通だと思います。
私自身も辛いなとは思いましたが、自分は若いし頑張れるはずと鼓舞してなんとかついていきました。しかし、インターンも残り1日というところでパニック発作が出てしまったのです。
夜家に帰り翌日の準備をしている最中に、急に動悸が強くなり、体が震え、めまいがし、呼吸がうまく出来なくなりました。暑い日だったのに悪寒が走り、冷や汗をダラダラ流しながら死ぬんじゃないかという恐怖と戦いました。
這々の体で隣人に助けを求めました。
介抱のおかげで数時間後にはなんとか回復しましたが、その日は眠れませんでした。
それでもインターン最終日は行かなければと思い、翌朝は吐きそうになりながら満員電車にのりました。
最終日はなんとか乗り切りましたが、その翌日から数日間寝込むことになりました。
この経験から私は考えました。
無理だ、と。
インターンなんてしょせんお遊び程度のものである。これで音をあげるなら、より重い責任、より強いプレッシャーが加算される実務についていけるわけがない。ましてやここで長期間働くなんて無理だ、と。
そして思いました。
諦めよう、と。
つづく
なぜ就職しなかったか。その2
そんなこんなで
やってもいない就活へのヘイトが膨らみ、その勢いで院に進学しました。
私の院は一言で言えば、
社会不適合者の集まり。
夢を追って来た人も多いが、私のようにモラトリアム目当てが多数。
立派な夢追人たちもまた、いろんな意味で社会には順応できない人たちでした。
院ではよくあることかもしれません。
学術に傾倒するあまり会話のキャッチボールができない、人の感情がわからない、極端に冷たい、論理的でないものに価値を見出せないなど、精神科の診断名がつきそうな人たちが多くいました。
もちろん少数ながら人格者もいました。その存在に何度救われたことか。
こんな環境で、私も一応彼らと同じような夢を持ち、彼らと共に学んできました。そのなかで様々な人間関係のトラブルがありました。
詳しくは言えませんが私はそれにほとほと疲れ、彼らと決別したいと思うようになりました。
しかし、このまま行くと彼らと同じ業界に就職することになる。
狭い業界だから接触は避けられない。
それは本当に嫌だ。
私はどうするべきか。
一生関わりたくない人々の中に特攻するか。院で学んだことを捨てて全く別の分野に進むか。
今でも自分の行き先は決まっていません。
現在無職です。
なぜ就職しなかったか。
大学4年。
多くの人はこの時期に就職活動を経験すると思います。大学に進学しなかったらもっともっと早くに経験してると思います。
しかし私はしませんでした。というより、どうしてもできなかったのです。
あの寸胴な黒いスーツを着て髪をひっつめ個性を消し、企業様の求める人物像に扮して、騙し騙され、消耗していくのが嫌だったからです。
もしかしたらもっと良いものなのかもしれませんが、少なくとも就活中の友人の様子をみて私には無理だと思いました。
茶髪が似合ってたあの子も、いつもオシャレなあの子も、みんなみんな個性を奪われて凡庸な白黒になっていくのが怖くもありました。
もっともみんなはそれを苦にする様子もなく、「少し我慢すれば済む話だから」とか「嫌なのはみんな同じだから」と乗り越えていました。
確かに、就職をするという一大イベントなのだから、多少イレギュラーなことがあっても仕方がないのかもしれません。外見を統一することで中身の違いを浮き彫りにする、あるいは社会のルールへの順応性を見るという目的もまあまあ合理的だとは思います。
ただ私にはどうしても耐え難かったのです。
こういうととても陳腐に聞こえますが、私は人と違うことにこそ喜びを見出すタイプです。
大多数の人がしていることはしたくない。人と同じことをしているとむしろ不安になるようなタイプです。物心ついてからこうなので、もはや自分の本質部分だと思っています。
これを読んでくださっているあなたもそうではないでしょうか。
私にとって、外見は思想の一部。
外見の個性を消すのはアイデンティティを消すことに等しいのです。
それに、集団面接やグループディスカッションという御社ヨイショゲーに参加する気にもなりませんでした。
作りに作ったワタシが気に入られて雇ってもらえたとしても、騙しているようで気分が悪いし、そんなワタシを私は到底維持できないと思ったからです。
もしも、この身を捧げてもいいという企業があればそういう我慢もできたかもしれません。
結果として私は就職を諦め、アカデミックな世界にひとまずエスケープすることにしました。
勉強していればとりあえずなんとかなる世界は楽です。
つづく